わたしの中高時代

※この記事は RITのたのしい Advent Calendar 2020 - Adventar  の21日目の記事です。

 

はじめに

自己紹介です。なずなです。関東某所で専門学校に通っています。趣味でイースシリーズのRTAをしてたり、VRChatしたり、(最近は離れ気味だけど)PSO2したりして生きてます。

 

本題に入る前に

まず、なんでこの話題なのかの説明から必要だと思うのでそこから。

もともと熾烈な中学お受験を超えて寮付きの進学校に通っていましたが、最初のほうから学習進度に追いついていけず、転校することになりました。転校先どうする?ってことで色々探して、いろいろあった(フィリピンのフリースクールへ行くか後述の学校へ行くか選択を迫られた話とか)末、山奥の小さな寮のある中高一貫の学校へ転入することになりました。ここがトンでもなく変わった学校で、エピソードには事欠かない面白い学校だったし、何より今の私を語る上では絶対に外すことができない存在だと考えたので、ここで記事として書かせてもらうことにしました。前置きはこれくらいで。

 

本題:わたしの中高時代に学んだ考え方

 本題の中高時代の話。これだけだとアバウトすぎるので、「中学高校時代に学んだ考え方」にしようと思う。

1.「どうせ誰かがやるなら、自分がやってしまおう」

誰でも、面倒なこと(当番とか、学校ならではな委員とか)はやりたくないと思うんですよ。だから、役割決めとか、委員決めにはとんでもない時間がかかると思うんです。しかもその時間の大半は無言。これは完全に無駄な時間だと思うんです。私はそんな無駄な時間が嫌で、率先してやるようになりました。もちろん私も面倒は嫌だけど、誰も何もしないことによって私自身の時間をも無駄にしてしまうのはもっと嫌だったので。

2.「自分のスタンスを決めて生きてみよう。」

もっと早く知っておけって感じですが、高校に入ってから学んだ感じ。転入当初(中学2年)は何とかして自身の居場所を作ろうと、全方面にいい顔してめちゃくちゃに死にそうになっていた日々を続けていました。ある日、特にきっかけはなかったんですが、自分の中で「それよりも自分のスタンスを固めて、敵味方作ってしまったほうが結果的に楽なんじゃないか」というように考え方が変わりました。

 

中高時代に気づいた悪いところ

1.「誰かのために何かしていないと気が済まない」

これ。自分の時間消えていくし、何かした後に死ぬほど後悔したこともあったし。頼りにされるのはいいが、元から私をアテにしてやってくるのは気に入らないとかそういう面もあった。もちろんこれをいいところだと言う声もある。でもこれは直したい。そんなとこ。しいて言うなら仲良くしたい人にはするがそうでない人には...って感じ。

 

2.「キレた時に後先考えず手段も問わず相手を叩きのめすスタンスになってしまうところ」

これもそう。後になってから激しく後悔する。もっと上手くやれたはずだったのに…ってなる。これも直したいところ。

 

中高時代に楽しかった授業

1.労作

あの学校の特色の一つだと思っています。"ろうさく"って読みます。多分労働作業の略。掃除したり薪割ったり育林作業したり薪割ったり行事準備の手伝いしたり薪割ったり。

中学3年の頃に、先生1人と私1人で小さな校舎の掃除をすることになっていたんです。2階建ての建物で、1階には図書室とお手洗い、2階には視聴覚室(の名前を借りた柔道場、床が柔らかい畳風のものだった)と小教室が二つ。図書室については別の人たちがやることになっていたので私たちの担当はそれ以外のもので、2階については1週間おきに視聴覚室と小教室2つを交互に掃除する感じでした。一緒にやってくださる先生が、(こう言っては失礼だけど)抜けているところがあって、いわゆるいじられキャラな先生だったんですが、私はすごく好きで尊敬できる先生でした。話好きな方で、いろんなことを教えてもらいましたね。。。ブルーカラーホワイトカラーという言葉を教えてもらったのもそこ。校舎って言っても小さなものなので掃除が終わったら雑談していました。とても楽しかった。「あの頃に戻りたい」とか思うときの候補の一つ。

 

2.100km強歩

誤字でもなんでもなく"強歩"。朝4時にスタートして、24時までに92km地点に到達し、100km地点のゴールを目指す学校行事です。毎年様々なドラマが生まれる名行事ですが、参加する側や学外の方からは「気が狂っている」との声が聴かれる迷行事です。参加した卒業生としては「機会さえあればやりたい、とてもいい行事だった。当時は狂っていると思っていたけど」とか思ってます。

「強歩は人生の縮図である。道半ばでくじけてやめてしまいたくなっても、それを乗り越えると果てしない達成感がある」そんな行事です。

私は、中学2年から高校2年までは毎年「72kmの壁」のようなものがあるらしく、そこであきらめてしまっていました。高校3年の時にようやく100km歩ききれたのですが、一番考えられる要因として当時いた彼女の存在でした。「あの子と一緒に歩ききりたい」単純ですがそんなことを考えていたように思います。つまりは気持ちの問題だったわけなのです。

3.国語

"問答"の授業

現代社会において大切なのは、問題を解決する能力よりも、問題を見出す能力だと考えています。一般の中学や高校で実施されている定期テストよりも、質問を創らせる方が、生徒たちの能力を正しく測ることができると考えています。」

こういう考え方から始まった授業です。

流れは、毎週火曜日に集められた質問に答える時間とすべてにこたえ終わった後の時間で 来週答えてもらう質問を生徒が作成するといった感じです。ちなみに質問者については先生以外は分かりませんが、書いた内容から基本的にバレます。狭い社会なので。やはりここでもいわゆる普通の学校のデスクワークでは学べない多くのことを学びました。

いくつかピックアップしてみましょうか。

Q. (学校の名前)はなぜもくそう(注1)をやるのでしょうか

A.(要約して書きます)なぜそのような時間を設けているのか、私にもわかりません。創立者に聞いたことはないので。しかしながら、推測することはできます。時間に対する意識を持つことは、社会性の啓培につながると考えます。引きこもり生活に時計は必要ありません。集団で生きるからこそ、時間というルールが意味を持つのだろうと思います。

 注1:黙想のこと。朝夜の点呼時に30秒ほど目をつぶって日々の振り返りをする時間として設けられています

Q.私は本音を美しく嘘で彩ったものを建前だと考えています。先生はこれについてどう思いますか?

A.私は美しい建前の中にあるのは熟慮と思いやりだと思います。必ずしも嘘が内在するとは限りません。ちなみに「嘘で彩ったもの」とありますが、嘘と本当の境目ははっきりしないものです。だから見極めが難しいのです。 

 ほかにも書きたいエピソードありますが、分量が増えすぎるのと、一番書きたかったものの資料が残って無かったので断念。。。。。。。。。。。。

 

ここで取り上げた3つ以外も含めて、ただのデスクワークでは学ばないような"生き方"について考えさせられるものが多く、私の想像する「普通の高校」では学ぶことができないような貴重な経験をさせていただきました。これは今の自分の中で大きな存在になっています。冒頭に書いた転校先を選ぶ時のほかに、中学から高校へ進む際も、「今後の進路において、一般受験をするなら大きく不利に働く」という話もありました。しかし私はそれを承知の上であの学校を選んでよかったと思っています。私は、「勉強はできるが人として大切なものはどこかに置いてきてしまったような人」にだけはなりたくないと考えていました。あの学校に行っていなければ私は今頃どうなっていたか。興味はありますが、実際にそうはなりたくないと思いました。。。

 

終わりに

書きたいことを書きたい放題書いたので、あまり内容的にはまとまりのないものになってしまったように思います、ごめんなさい。でもこうやって頭の中でまとめて文章化することはあっても、外に公開することは極めてまれなので、このような機会をくれたRITさんに感謝感謝。

こんなところで私の記事はおしまい。ありがとうございました。